荒野の果てに嫁ぐもの 第25話 帰国

荒野の果てに嫁ぐもの 第25話 帰国

荒野の果てに嫁ぐもの 第25話 帰国

前の話へ 目次へ 次の話へ

 

「片付けは私がするのに」

 

「いえ、ティアは休んでいてください。これくらいは、わたしにもできますから」

 

「そう? じゃあ、ちょっと横になるね」

 

少し青ざめた顔で微笑むと、ティアは幌馬車にしつらえた簡単な寝床へと向かった。その後姿を見送って、リシルは昼食の後片付けを始める。

 

二人に出会って早くもひと月が経つが、その間にティアの妊娠がわかり、リシルはできるだけ彼女の負担を減らすように、手伝いを進んでするようにしていた。少し身体の弱いところがある彼女にとって、初めての妊娠はサスも心配らしい。行商を辞めて、どこかで居を構え、落ち着くことも考えているようだ。

 

季節が夏に向かい、日に日に日差しがきつくなってきていた。洗い場に落ちる影も色濃くなってきている。

 

リシルは茶色い髪からのぞく額の汗を手の甲で拭った。染めるついでに、襟首まで髪を短く切り揃えたが、かえってまとめていた方がすっきりしていたかもしれない。汗で髪が首にはりつく不快感が鬱陶しい。二人と行動を共にするようになってすぐに、リシルは髪を染めた。

 

金髪はこの国では目立ちすぎるということと、髪を褒められる度に、アルヴァーのことを思い出すからだった。短めに切ったのも、自分の視界に髪の毛が入るのが嫌だったからだ。この柔らかい髪を、殊の外アルヴァーは気に入っていたから。

 

ガウィルを離れ、国内を点々とする生活に、皇太子に関する噂は耳に入ってこなくはなったが、リシルの心から、アルヴァーの影が去ることはなかった。なにをしても、ことある毎に記憶の断片が鮮やかに甦ってきて、リシルを苦しめる。その度に、まだ未練があるのか、と自問することの繰り返しだ。

 

あれが恋と呼べるものなら、きっと初恋だったのだろう。

 

初恋は実らないという話を聞いたことがあるが、アレジアは見事その恋を成就させたのだから、迷信なのかもしれない。だが、それは男女間の話だ。同性に想いを寄せる自分には当てはまらない。

 

ましてや、相手は一国の皇太子という身分で、妻子もいる。

 

アレジアは貴族という身分を捨て、駆け落ちまでして想いを遂げたが、アルヴァーにそれを望むことなどもちろんできない。

 

……なんて、比べても仕方がないのに。

 

その手の話に疎いリシルには、身近にいたアレジアのことを思い浮かべることしかできないのだが、いくら比べてみても、自分には明るい未来は見えてこない。好きな相手と結ばれたアレジアのような未来は。

 

……アレジア様、どうしているかな。

 

皿洗いの手を止めて、晴れ渡った空に目を向けた。

 

見つめる北の方角に、懐かしいモルシャルがある。今頃は、二人で仲睦まじく暮らしているだろうか。もうすぐ、サスとティアのように子供ができるかもしれない。

 

生まれたら、アレジア様とバートラムのどちらに似ているかな。

 

一目見てみたい。

 

自分がいなくなった今、もうアレジア様の行方を知る者はいないから、アルヴァーたちにその居所を知られることもない。もし、自分がアレジア様を訪ねていっても、迷惑をかけることもないだろう。できればバートラムの故郷の町を一度訪ねてみたい。

 

いつか……と思いを馳せるリシルに、その時は偶然訪れた。

 

 

 

 

「北、に行くのですか?」

 

「ああ。モルシャルの国境近くに知り合いがいるから、そいつを頼って落ち着こうと思ってな。ティアがあんな具合だから」

 

手綱を操りながら、幌の中に目をやるサスにつられて、リシルもティアの様子をうかがう。馬車での移動が堪えるのか、最近のティアの体調は芳しくなく、食欲も落ちて体力が持つか心配なほどだ。今も荷台の片側にある寝台で横になって休んでいた。国境近くのトレディスという街を定住先に選んで、腰を落ち着けるつもりだとサスはいう。

 

モルシャルの国境のそばと聞いて、リシルの胸が躍った。バートラムの故郷は、ガーシュイン国の国境に近いと聞いていたので、そう遠くないと思ったからだ。

 

「そこからモルシャルのファルタには行けますか?」

 

「うん? 聞かない名だな。モルシャルの街か?」

 

「ええ、小さな町みたいで、わたしもよくは知らないのですが、知り合いがいるのです」

 

それを聞いたサスは、へえ、と片眉を上げた。

 

「あんたから、そういう話を聞くのは初めてだな」

 

「そう、ですね」と、リシルは苦笑いで答えた。

 

隠していたつもりはないが、サスたちが何も尋ねないことをいいことに、自分のことはほとんど話したことがないことに、今頃気づいたリシルだ。

 

「トレディスに着いたら、知り合いに聞いてみよう。その町への馬車があるかもしれない」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

初めて見るリシルの笑みに、サスも笑みを返す。リシルはアレジアに会えるかもしれないという期待に、久しぶりに胸を高鳴らせていた。馬車の向かう先、北方のモルシャルへと心が飛んでしまいそうになる。そんな浮き立つ心とは裏腹に、ガーシュインを離れることに胸の奥がちりりと痛むが、アレジアに会いたいという思いでそれを抑えこんだ。

 

いつまでも、引きずっていてもどうしようもないのだから。

 

……もう、忘れよう。

 

後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、リシルは前を見続けていた。

 

 

 

 

アヴァロン城へと向かった時とは逆に、緩やかな下り坂を進むにつれ、若草色の丘や瑞々しい森が増えてきた。天空から地上に降りてきたような気持ちとともに、見慣れたモルシャルの風景に懐かしさを覚える。道なりにすれ違う人々の髪の色に、改めてこちらが自分のいるべき国だと思う。

 

落ち着いたら、サスやティアに手紙を書こう。

 

拾ってもらった上に、ファルタへの馬車賃まで貸してもらい、最後まで世話になり通しだった。ティアの不調がなかったら、二人してファルタまで送り届けてやりたかったとまで言われ、リシルは感謝してもしきれないほどだった。二人と一緒にいる居心地の良さに、そのままトレディスに留まろうかとも思ったほどだが、敢えてリシルはモルシャルへ戻ることを決めていた。

 

やはりアルヴァーのいるあの国にいるのはつらかったから。

 

ガーシュインにいる限り、アルヴァーへの想いを忘れることができそうにないのだ。

 

あの国は、アルヴァーを思い出させる。

 

荒野に吹く風が、広大な茶色い大地が、黒髪の人々が、忘れようとするリシルの心を乱していた。見るもの感じるものすべてから、アルヴァーとの思い出がこの身に染みているのをまざまざと感じさせて、その度にリシルは細い腕で我が身を抱き締める。

 

もう忘れたいのに……。

 

愛人としてアルのそばにいたいわけではない。例えアルがそう望んでも、自分の存在が奥様やお子様に嫌な思いをさせてしまうだろう。

 

それに、なにより自分がそういう存在になるのが嫌だった。

 

自分だけが愛されたい。

 

そんなわがままな想いに気づくとともに、そうでなければアルとともには生きていけないと思った。

 

だから、アルのそばに自分の居場所はない。もう自分を必要としてくれる人はいない。

 

そうわかってはいるが、その事実が一層リシルの孤独を深くさせる。

 

アレジアに頼ろうとする自分が情けないと思うが、この孤独を癒すために、ワラにもすがりたい気持ちでいっぱいなのだ。

 

この気持ちにけじめをつけなければ。

 

時間はかかるかもしれないけれど、モルシャルでの生活は、きっと以前の平穏な日々へと戻してくれるだろう。

 

新たな場所で、新しい生活と、仕事を見つけよう。

 

流れゆく景色を見つめながら、けっして後ろを振り向くことはしない。前を見据え、これからの生活に目を向けようとするリシルだった。

前の話へ 目次へ 次の話へ

 

 

ネット小説ランキング 
にほんブログ村 BL・GL・TLブログへ
にほんブログ村 クリック応援をいただけると励みになります(*^^*)

page top