荒野の果てに嫁ぐもの 第3話 不可解な鼓動

荒野の果てに嫁ぐもの 第3話 不可解な鼓動

荒野の果てに嫁ぐもの 第3話 不可解な鼓動

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「お帰りは夜になるかと思っていましたが、早いお戻りですね」

 

「客人を待たせるわけにはいかないからな」

 

どこか楽しげなディータを横目に、アルヴァーと呼ばれた男はリシルの正面に歩み寄り、ふわりと片膝をついた。

 

風の精が存在するのなら、このような仕草で立ち居振舞うのだろうか。艶やかな黒髪が流れるような動きの後を追い、まるで風と戯れているかのようだ。

 

洗練された所作のひとつひとつに、リシルは足の痛みを忘れて見蕩れてしまいそうになる。

 

リシル自身、アレジアのお供で様々な上級階級の人間を見てきたが、これほどの存在感のある相手に出会ったことはなかった。

 

身のこなしもだが、外見も男性として魅力的で目が離せない。白一色で統一された服が、ほどよく日に焼けた褐色の肌を引き立てていて、とても良く似合っている。肘までまくり上げられた袖からは、引き締まった腕が伸びていて、服の上からもわかる胸板の厚みは筋肉質な体躯を想像させる。

 

頬の削げた精悍な輪郭に意志の強そうな眉、高い鼻梁に口角の上がった薄い唇が美丈夫と呼ぶにふさわしい顔つきだ。指通りの良さそうな黒髪は後頭部でひとつにくくられ、背中の中ほどまで達している。

 

不揃いな前髪は、邪魔にならない程度に顔に影を落とし、男の色気を醸し出していた。そこから覗く漆黒の瞳を持つ切れ長の目は、鷹の目を思わせるほど印象的だ。

 

ヴェール越しのリシルの瞳をひたと見つめ、射るような迫力がある。なにもかも見透かされてしまいそうなその瞳に、リシルは背筋を震わせた。

 

身代りを務めようとするなけなしの決意が、あっけなく霧散してしまいそうになる。

 

「立てないのか?」

 

かけられた声のあまりの近さに、リシルは思わずのけぞってしまった。耳障りの良い低音の声に、無意識に身体が硬直する。

 

……こういう時には、なんと返事をすればいいんだろう。

 

頭が真っ白で、リシルの思考はほぼ停止状態だ。呆然とアルヴァーの目を見つめ返すことしかできない。

 

そんな無言のリシルを気にする様子もなく、アルヴァーは後ろのディータを振り返る。

 

「せっかくのドレスが台無しだな。ディー、湯浴みの用意をしてくれ」

 

「はい。すべて手配済みです」

 

「相変わらず抜け目のない」

 

アルヴァーは口の端を上げて笑うと、リシルの方へと腕を伸ばしてきた。

 

「…ぃ!?」

 

思わず漏れそうになった悲鳴を、リシルは口を押さえて飲み込んだ。

 

いきなりアルヴァーに背中と膝の裏をすくわれ、横抱きにされたせいだ。突然の出来事に心臓が驚いて走り出し、冷や汗がどっと噴き出してくる。

 

公衆の面前でこんなことをされたのは、もちろん生まれて初めてだ。恥ずかしくてたまらない。

 

リシルは耳まで真っ赤にして、身を縮めた。

 

まわりから見れば、それはとても初々しい令嬢の反応で、二人はお似合いのカップルに見えるだろう。ほう、という周囲のため息や、小さく上がった女性陣の黄色い声がそうだと物語っていた。

 

そう気づいて、リシルはとにかく女性らしく見えるように、とアルヴァーに身を任せることにした。この場の羞恥心より、この先の使命感が勝った末の判断だ。どうにも一人では立ち上がれなかったのだから、思えばアルヴァーの行為は有り難かった。

 

助かった……。

 

リシルは安堵感から、少し肩の力を抜いて自分の胸に両手を置いた。目を閉じて、アルヴァーの視線を遮ると、だんだんと心臓も落ち着いてきた。

 

後はなるようにしかならない。

 

覚悟を決めると、リシルは心を落ち着けるように深呼吸を繰り返すのみだ。

 

そのまま悠々と歩き出すアルヴァーの後を、靴を手にしたディータが静々とついてくる。住人達の視線は、城の階段に向かう三人の姿に釘付けで、その目は一様に温かだった。

 

 

リシルを横抱きにしたアルヴァーの歩みの振動は、軽快かつ一定で心地良い。

 

飛び跳ねた心臓は多少はおとなしくはなったが、まだとくとくと速い鼓動を刻んでいる。

 

アレジアより幾分か重いだろうリシルを、軽々と抱えるアルヴァーの足取りはしっかりとしていて、その見た目以上のたくましさに、リシルの男性としての劣等感が頭をもたげていた。ひ弱な自分の身体などと比較するのもおこがましいが、自分にないものばかり持っている相手に、多少なりとも嫉妬心を抱くのも無理ない話だろう。

 

まだ速い胸の鼓動も、きっとそのせいだ。男としての憧れ、みたいな……。

 

頼りがいのある胸板に身を預けていると、アルヴァーの汗まじりの匂いを感じる。それすらも不快に思うことなく、むしろ爽やかな彼らしいアクセントになっていた。

 

こうして抱かれているのがアレジア様だったら、本当にお似合いの二人だったかも……。

 

もちろん、バートラムもアレジア様にふさわしいと思っているが、それとは別にそう思う。

 

また、自分が男だと知ったら、騙されたと知ったら、この人はどう思うだろう、と思う。

 

そのことを思うと、胸が少し痛むけど…… 。

 

リシルは閉じていたまぶたを開き、そっとヴェール越しのアルヴァーを見上げた。と同時に、自分を見ていたアルヴァーの視線に視線がぶつかって、リシルはうろたえた。

 

それを見たアルヴァーの口角が面白そうに吊り上がる。

 

「おい、ディー。このヴェールを取ってくれ」

 

えっ?

 

「はい。アレジア様、失礼致します」

 

ええっ?

 

三人は既に城内に足を踏み入れ、石造りの階段を二階へと昇ろうとするところだ。住人達の目がなくなったところで、アルヴァーは令嬢の顔が見たくなったらしい。

 

主に従順なディータは、すぐにリシルのヴェールに手をかけ、すばやく取り去ってしまった。

 

「……思った以上に可愛いな」

 

嬉しげなその声に、またもや心臓が飛び跳ねた。

 

可愛い……? この人は、男の自分に何をいっているのだろう?

 

思わず目を丸くしたリシルだが、すぐにそうだ、と思い直した。

 

それはこの外見のせい? うん、きっとそうだ。

 

女装の自分にうまくだまされてくれているのなら、望むところで御の字だけど……。

 

アルヴァーの言葉をそう解釈したリシルは、ふと注がれる視線に気づき、顔を上げた。

 

薄い障壁がなくなったリシルの顔に、強烈な力を持つアルヴァーの視線が浴びせられる。それは、真夏の太陽のような熱い眼差しで。

 

「……っ」

 

見つめられて、いたたまれなくなったリシルは、赤くなった額をアルヴァーの胸に押しつけた。

 

この瞳は心臓に悪すぎる……っ。

 

「恥らう姿も可愛らしい」

 

ふっと笑った気配に、リシルはますます俯いた顔を上げられない。

 

男の自分に言われても嬉しくないはずの言葉なのに、こんなに反応してしまうのはこの格好のせいだ。女装をしているので、気持ちも女性のように感じてしまうのだろう。

 

きっとそうだ、と思おうとしても、リシルの激しい動揺は収まらない。

 

耳まで赤くなっているのを自覚しながら、リシルは一刻も早くこの腕から解放されることを願った。

 

ここにきてから、リシルの寿命は極端に短くなった気さえする。ずっと続いている緊張と恥ずかしさで、ぐったりとしていた。

 

早く一人になりたい。

 

そんなささやかな願いは、しばらく叶いそうになかった。

 

いくつかの廊下を曲がり、いくつかの階段を昇り、を繰り返し、三人は上へ上へと城内を移動する。

 

いったいここは、どれほどの広さがあるというのだろうか。まず案内なしでは、迷子になること請け合いだ。

 

ようやくたどり着いたのは、最上階に近いであろう一室だった。

 

 

 

「ふぅ…」

 

いい香りのするぬるめのお湯に身を沈めながら、リシルはゆったりと息を吐いた。そう広くはないが、一人用の浴槽が置かれた石造りの浴室で、一人になれた解放感を味わう。

 

湯浴みも着替えもすべて自分でする、とアルヴァーとディータを説得して、与えられた部屋でくつろぐ時間をもらえたリシルは、すぐに真鍮の洗面器に水を張り、腫れた左足を冷やしにかかった。

 

普段の二倍にも膨れ上がった足首から爪先は、赤黒く変色していてじくじくと痛む。足首もくじいているようで、水で冷やすだけでは治まりそうにない。

 

と、思ったところで、はたとリシルは気づいた。

 

いつも使っている腫れを抑えるための薬草は、アレジア達の乗った馬車に置いたままにしていて、手元にはないことに。

 

しまった…!と思っても、後の祭りだ。

 

この酷い足を他人の目に晒すのは、どうしてもしたくない。だが、あの薬草がなければ、痛みも腫れも長引いて、きっと歩くことすらままならないだろう。

 

「……片足で飛び跳ねるお嬢様なんて、どこを探してもいないだろうな……」

 

そんな奇妙な相手では、お相手のアルヴァー様もさすがに不快に思うに違いない。

 

身代りとしては、あまり目立つことはしたくないし……。足は見せないで、湿布薬がもらえないだろうか。

 

こんな足をしているなんて、嫌われはしてもまず好かれることはないから。

 

でも、あの聡明そうなディータは、口だけでは納得してもらえないかも……。

 

天を仰いだリシルは、う〜ん、と唸ってしまう。

 

洗面器に足を突っ込んだまま思案しても、良い知恵が出てこないので、ひとまずお湯に浸かって固まった身体をほぐすことにした。

 

「気持ち良い……」

 

疲れきった身体が香りとお湯で癒されて、ゆるりと弛緩するのを感じる。昼間から湯浴みをしている贅沢さと上質なもてなしの空間に、うっとりとリシルのまぶたが閉じた。

 

足の痛みさえなければ、もっと快適なんだけど…… 。

 

こればかりは仕方ないな、と沈んだ溜め息が漏れる。

 

普段はうっすらと赤みの残る左足だが、疲れたり、無理をしたりすると、こうして赤黒く腫れ上がって疼くような痛みが出てくるのだ。これはもう、一生治らないものだと諦めている。ここまで酷くならなければ、少し足を引きずるだけで歩くことはできるのだから。

 

あの薬草がなければ、この左足も失っていたかもしれないし、命もなかったかもしれないのだから、これ以上の望みはバチが当たる、とリシルは思っていた。

 

手を尽くして、奇病に効く薬草を与えてくれたアレジアとファビウス候には感謝してもしきれない。

 

もう少ししたら、また水で冷やさなきゃ…… 。

 

だるい身体がお湯でほぐされていく心地よさが、もう少し、もう少しと浴槽を出る時間を引き延ばす。

 

それを幾度となく繰り返しているうちに、リシルはうとうとと夢の中へ滑り落ちてしまっていた。

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