荒野の果てに嫁ぐもの 第8話 熱

荒野の果てに嫁ぐもの 第8話 熱

荒野の果てに嫁ぐもの 第8話 熱

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熱…い。

 

荒い息の下、朦朧とする意識の中で、リシルは重い身体を持て余していた。手を上げることさえ叶わない気だるさに、滲み出る汗を拭うこともできない。まとわりつく掛け布も鬱陶しく不快に思える。

 

久しぶりに熱を出したのは、長旅の疲れと無理をしたせいだ。薬を塗ってもらった左足も早々に良くなるはずもなく、腫れたままでじくじくと疼いている。

 

昨日は、広間でアルヴァーと食事を摂った後、疲れを理由に与えられた部屋に戻り、早めに横になったのだが。目まぐるしい一日が終わり、気が抜けたのもあるかもしれない。夜半過ぎに強烈な悪寒に襲われた後、明け方には高熱にうなされるようになっていた。

 

今はまだ朝早い時間なのだろう。誰もこの部屋に来ることもない。体を炙られるような熱と重苦しい倦怠感、見慣れぬ広すぎる部屋に一人ぼっちでいる心細さに、リシルの目尻に雫が溜まる。あの奇病に倒れた時もこんな風に孤独を感じていた。

 

病気がうつるといけないとのことで、アレジアはおろか使用人まで部屋を訪れることを制限されていたのだろう。完治するまで、熱にうなされながら寂しさを堪えていた記憶がある。

 

あの時は十二歳の子供だったから、寂しさに身を震わせることも当然のことだった。それがこの歳にもなって寂しいと思うなんて、と思うが、身体が病むと心も弱くなる。こんな時は、誰かそばにいて欲しいと願うのは自然な気持ちなのだろう。そんな相手がいれば、だが。

 

ここには、親しかったアレジアもファビウス家の者もいない。

 

アルヴァーの顔がちらりと頭によぎるが、昨日出会ったばかりの相手にそこまでは望めない。性格なのか、使用人として仕えていたためか、リシルは他人になにかをねだるということは苦手だった。

 

…喉が酷く渇いて… 、冷たい水が欲しい。

 

枕元のナイトテーブルの上に水差しがあったと思うが、弛緩した体を起こす気力もなかった。

 

熱い息を吐くと、目尻を拭う指を感じた。そういえば、あの時もこんな風に気遣う指の感触があった気がする。柔らかい女性の指ではなかったあれは、ファビウス候だったのだろうか。

 

懐かしい感触を思い出しながらまぶたを開けると、薄闇の中に男の影が浮かび上がっていた。

 

「…だれ…?」

 

「俺だ。熱が出たようだな」

 

「アルヴァー…様?」

 

どうして、この人がここに? しかも、こんなに朝早く…。

 

ぼんやりと見上げると、苦笑したアルヴァーは明かりを灯した後、ベッドの端に腰掛けてリシルの額にそっと手を置いた。

 

たったそれだけの仕草が嬉しい。つい甘えたくなってしまうほどに。

 

「かなり熱が高いな。これだけ汗をかけば喉も乾くだろう。水を飲むか?」

 

素直にこくんと頷くと、水差しから水を注いだコップを口にあて、身体を起こしてくれる。うまく飲めなくて口の端からこぼしてしまうと、アルヴァーの服に水の染みが広がった。今日は茶色の長衣を着ているので、余計に色濃く目立ってしまう。

 

「す…みません。こぼしてしまって…」

 

「気にするな。そのうち乾くさ。飲めないようなら、俺が飲ませてやるが」

 

どうする?と問われ、欲するままに「はい…」と返事をすると、乾いた唇に濡れた唇が被さってきた。

 

「ん … っ」

 

口移しで水を含まされ驚いたリシルだが、ようやく与えられた潤いにそれを拒むことはなかった。そればかりか、一度目を飲み尽くすともっと欲しくなって、潤んだ瞳をアルヴァーに向ける。

 

「…その目は犯罪だな。自制がきかなくなりそうだ」

 

言われた意味はよくわからなかったが、何度かそれを繰り返すと、リシルは満足したように溜め息を吐いた。

 

「役得だ」と言うアルヴァーに、濡れた唇をぺろりと舐められて我に返ったリシルは、むさぼるように自分から求めたことが恥ずかしくなる。今更だが、別の意味で熱が上がってきそうだ。その照れくささをごまかそうと、さっき思った疑問を口にしてみた。

 

「どうして…ここに?」

 

「ん? ああ、今日は朝から出かけるから、その前に顔を見ておこうと思ってな」

 

来てみてよかったと言いながら、アルヴァーは掛け布を剥がし、リシルの服に手を伸ばす。

 

「なに、を…?」

 

「着替えないと気持ち悪いだろう」

 

「だ、大丈夫です。自分で…」

 

できます、とまで言わせずに、その手は手際よくリシルの寝巻きを脱がせていく。リシルが恥らう時間も与えずに身体を拭き、新しい寝巻きを着せると、ソファの上にそっと移動させた。

 

そして、汗で湿ったシーツをすっかり取り替えると、再びリシルをベッドに運び、濡れたタオルを額にあててくれる。これほど甲斐甲斐しく世話をされたことがなかったリシルは、城主にそこまでされて恐れ多いと思う気持ちと、そうされることへの嬉しさで胸が詰まりそうになっていた。

 

「ありがとう、ございます…」

 

さっぱりと整えられた心地よさに身を委ねながら、消え入りそうな声で礼を言うと、
「俺が楽しんでやっているんだから、気にするな。なにか欲しいものや食べたいものはないか?後でディーに持ってこさせよう」
と、ご満悦の体で言われ、リシルはもっと甘えたくなってしまった。

 

熱で頭に霞みがかっているせいもあって、常日頃では言わないようなことも言える気がする。欲張りでは…と内心自問しつつ、願いがするりと口から滑り出た。

 

「…他のものはいいので…。そばにいてください…」

 

そばにいて、この孤独を、心細さを癒してほしい。

 

正直な気持ちを言ってすぐに後悔したが、果たしてその切なる願いはすぐに叶えられた。

 

アルヴァーはその精悍な顔に笑みを刻むと、ベッドのそばに寄せた椅子に腰掛け、リシルの左手を握ってくれた。空いた右手で、汗で濡れた前髪を後ろへと撫でつけてくれる。その柔らかな指使いに、リシルはやんわりとまぶたを閉じて気持ちよさを味わう。

 

「眠れるようなら寝た方がいい。俺はずっとここにいるから」

 

「…はい…」

 

感触を確かめるように左手を握ると、アルヴァーのさらりとした大きな手が握り返してくれる。

 

その心強さに安堵しながら、リシルは満たされた気分で眠りにつくのだった。

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